ハム太が3カ月のときから、読み聞かせをしている。
わたし自身が小さな頃から本が大好きなので、読み聞かせること自体が楽しかったのと、ハム太にも本好きになってほしかったのだ。
さて、8才になったハム太は、今でも読み聞かせは好きだが、自分で読む本と言えばゲームの攻略本か、図鑑系の本がほとんど。
親の思惑通りには行かないものだ。
ある土曜日の夜、ハム太が小さな癇癪を起したことがあった。
詳細は省くが、ゲームの使用に関することで、次の日が休みとはいえもう寝ているはずの時間だからゲームはなし、ということから泣いて怒った。
「なにも楽しいことがない!」と怒っていたが、落ち着いて「今日はもう寝よう。本を読んであげるから選んで」と返した。
「なにか面白い本あるの!?」とまだ怒りながら訊くので、「自分で選んでごらん」と言った。
さてどの本を選ぶのかと思っていたら、持ってきたのは「おやすみなさいおつきさま」。
エキサイティングとは言えない本だが、ハム太なりに、荒れた気持ちを静めたくてこの本を選んだような気がした。
日本では1979年に出版されたこの本はロングセラーだが、わたしは子どもの頃には出会わなかった。
幼い頃から読むのが好きなあまり、字が少ない絵本はあっという間に読み終えてしまうので、あまり手が伸びなかったせいかもしれない。
ハム太に読んであげる本を探して、古本屋で購入しだときは、色づかいが独特でかわらしいと思ったけれど、そこまで良さがわかっていたわけではない。
読み聞かせることではじめてきちんと「読んだ」。
ベッドに入ったうさぎが、目に映るものに、ひとつひとつ「おやすみ」を言っていく。ただそれだけなのだけど。
「おやすみ」を聴くたびに、知らず知らず、ここちよい眠りへと誘われていく。
どちらかと言えば色鮮やかな部屋の合間に、ところどころにあるモノクロのページ。この存在もきっと眠りへと誘う魔法のひとつ。
ゆったりとしたリズム。
原書では、「good night kittens, good night mittens. 」「good night bears, good night chairs」と韻を踏むところがたくさん出てくる。
日本語訳でははその韻は成立していないのだが、ひとつだけ見事な韻がある。
「おやすみ、だれかさん。おやすみ、おかゆさん」というところ。
逆に英語では、このページは「good night nobody, good night the mash」と韻は無いのだけれど、nobodyとmashの組み合わせにはなにか意図があるのかな。
「だれかさん」のところで、息子の顔を見ると、息子は寄り添ってきて、こう言う。
「ねえ、明日の朝ごはん、おかゆがいいな」
原書の大きな特徴のひとつである韻がほとんど成立していないのに、日本でも長年読み継がれている、底力のある絵本。
でも、韻がなくてもすばらしい訳だと思う。
最後の一文、「おやすみ そここできこえるおとたちも」は、原文の「good night noises everywhere」よりもずっと情緒があるように感じる。
この本を読み聞かせていると、自分自身の心も、少しずつ落ち着いていくのがわかる。
隣のハム太も、さっきまで真昼のようにキラキラしていた目に、まぶたが落ちてくる。
読み終えて、ゆっくり本を閉じ、枕もとの明かりを消す。
次の朝、目を覚ましたハム太が、くるりと身体をこちらに向けて言った。
「ねえ、昨日の夜、あんなに怒っちゃってごめん」
おやすみ前の読み聞かせは、眠っている間も子どもを包んでくれているのかもしれない。
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