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たぶん2025年最後のつぶやき


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気がつけば、今年もあと10日間で終わり。夏以降の記憶があまりない。
窓の外を見ると、苗用ポットに入ったままのバジルとゴーヤが、黄色くなった葉を落としている。
GW中に植え替えるつもりだったのに、できなくて、そのままになってしまった。
今年は数えるほどしかベランダにも出ていないんじゃないだろうか。
家とジム、スーパーマーケットと小学校、義父母の家。
旅行を除いて、行動範囲のほとんどがこの中に収まってしまっていた気がする……。

なにがそんなに忙しかったんだろう。
去年の10月に動物病院のバイトを辞めてからすぐは、なんでもできる気がしていた。
1週間に12時間も、自由な時間な時間が戻ってきたのだ。
でも気がついたら、その12時間はどこかに溶けてしまったみたい。
決して、家でゆっくりする時間が増えたわけでもなくて、相変わらず自分のことなんてなにもしていないのに。
近所の植物園の散歩や街歩きさえ、もう半年くらいしていないんじゃないだろうか。

夏に退職しようと決めてから、少しずつ準備を進めてきた。
少人数なので、急には辞められない。
わたしが今の仕事を引き継いだとき、マニュアルもなければ、引継ぎらしい引継ぎさえもしてもらえなかった。
困ったらそのときに訊いてくださいと言われても、何を知っているべきかさえこちらは知らないのだからそれでは困ると伝えたけれど、
結局はなにもしてくれなかった。
人間的にはとても良い人達ばかりの会社だったけれど、そういう部分の常識が欠けている部分が多くて、苦労した。
だから、自分で調べながら、次に来る人が困らないように、同時にマニュアルを作りながら作業を進めてきた。
前はときどき、平日に休みをとって自分時間にしていたけれど、それをする余裕がなかったのかな。
今もとっても忙しい。
これまで、本当は時間をかけて整備したいものがあっても、目の前のものから片付けるしかなかったけれど、
次の人に渡すためにできるだけ分かりやすく整えようとして、そこに時間を使っている。
でも、あと少しのがんばり。もう少しで、肩の荷を下ろせる。

退職したら、ほかにやりたいことがある。
でもそのまえに……
しばらく、なにも考えずにのんびりしたい。ぼんやりと街歩きをしたい。
ちょっと長めの旅行もしたい。昼間、ベッドに寝転がって本を読みたい。
家も片付けたい。アイシングクッキーを作りたい。
勉強もしたい。友達にも会いたい。馬にも乗りたい。

あと少し、がんばろう。

忙しかったけど、比較的おだやかな1年だったのかもしれない。
動物だちも、誰も病気にならず、ゆっくりと関係が熟していっているように見える。

雲がかたちを変えながら流れていくように、止められない変化もあって、
そこには良いようなことも、悲しいようなことも、いろいろあるけれど、
ときどき空を眺めながら、行くべきほうへ歩いていこう。









# by umitoramarine | 2025-12-20 12:02 | つぶやき | Comments(2)

息子の運動会のこと

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気がつけばもう11月も終わり。
書き留めておきたかった、先月の運動会のことを書いておこう。

息子が小学生になり、3回目の運動会だった。
お世辞にも運動神経が良いとは言い難く、かけっこは常に最下位の息子だが、過去の運動会を見るに、一生懸命やっていないことも明らかだった。
自分自身もそういうタイプだったので人のことは言えないのだが、一生懸命な息子を見てみたくて、去年、こう言ってみた。
「かけっこって、一番になろう、ほかの子に勝とうと思っていっしょうけんめい走るんだよ。」
息子のこたえはこうだった。
「ぼくはね、勝つとか負けるとかにきょうみはないんだよ」

悟っているというより、そういうふうに生まれついているんだろう。自分がそうだからわかる。
でも、わたしは知っている。
いくら自分は興味がなくとも、何度も勝ち負けで「負け」の烙印を押されていると、いつの間にか自分にも「負け」が刷り込まれていくことを。
「やらない」のではなくて「できない」のだと、いつの間にか自分も思わされていくことを。

なので、今年の運動会前に、息子に言ってみた。
「かけっこで1位になったら、ゲームをする時間を1日だけ無制限にしてあげる」。
ふだん、ゲームは1日1時間と決まっている。
物欲がなくてゲームが大好きな息子にとっては、ゲームし放題はなによりもおいしいニンジンなのだ。
私の思惑どおり「じゃあがんばる!」と息子はニコニコの笑顔だった。

さて、運動会当日。息子が出る3年生のかけっこのひとつ前は、2年生のダンスだった。
なんとなくダンスをを眺めていたら、急に涙がこみ上げてきてしまい、あせった。
知っている子がいるわけでもない、てんでバラバラの子どもたちのダンスが、たまらなく尊いものに見えたのだ。
わたしはハム太を生むまで、どちらかと言えば子どもが苦手だった。
正直に言えば、今だって子どもより動物のほうが好きだ。
なのに、知らない子どものダンスで泣いてしまう自分には戸惑いしかない。歳のせいなんだろうか。

右手をあげるべきところで左手を挙げる子。一人だけ張り切って跳んでいる子。もたもたとかよちよちとかの擬音が出てきそうなダンス。
小学1年生はまだほとんど幼児だけど2年生になったらぐっと大人びた、とハム太のときは思ったけれど、小2もまだまだ小さくてあどけなくて頼りない。
みんなが不器用なりにがんばっている。この世に出てきてたった7年目の、まだまだ小さな人たち。小3の息子は去年よりもさらに背が伸びて、生意気さも出てきたけれど、まだまだやっぱり小さい人なんだよなぁ……。

ふと、これまでの運動会を思い出した。
1年生のときも2年生のときも、息子がダンスを覚えていないだろうことは聞かなくてもわかったので、毎日、家で練習をした。
(練習用のビデオがタブレットに入っていて、家での練習を学校からも言われていた。)
動きがぎこちないし、左右がすぐわからなくなる息子となんども踊って、当日は音楽がかかれば自分が完璧に踊れるくらいになっていた。
本番では、息子だけを見つめて、心の中で「右回り、左回り、ハイ右手あげて…ああ、そこは右だよもう」とツッコミを入れながら観ていた。
集団演技で、息子だけができなくて周りに迷惑をかけるのが心配だったのだ。
だけど、こうして引いた目で見てみると、2年生の演技なんて本当にバラバラなのだ。間違っている子はたくさんいる。
わたしは息子だけを見て周りを見ず、息子が失敗ばかりしていると思っていたんだな……と気づく。
息子が不器用なのはたしかだが、息子だけができなくて周囲の子はみんなできていると思ってた。本当はバラバラなのに。
いつもつい、そういう目で息子を見てしまって、息子を追い詰めててしまっているところがあるのかもなぁと思った。
はじめとはちょっと違う涙がこみ上げてきそうになったけれど、ぎゅっと右手を握って手のひらに爪を食い込ませて、痛みで体内に押し戻した。

3年生の70M走がはじまった。
ゴールの前に場所取りをしたので、スタートの部分は良く見えない。
目を凝らしていると、コーナーを一番に曲がってくる息子が見えた。息子はグラウンドの一番外側のレーンだったので、スタートは他の子よりもずっと前からで、コーナーを曲がるところから差がなくなってくるけれど、先頭のまま振り切っている。ちょっとだけ右と左の脚のテンポが違う。足が痛いのかもしれない。ちょっとずれたテンポのまま走ってきてテープの直前で少し速度をゆるめて、確かめるように周りを見ながらテープを切った。一番だった。名前を呼ぶわたしに気づかず、笑顔になるわけでもなく、いつものぼんやりとした表情のまま、高学年の子に付き添われて1位の列へ連れられていった。

息子をとても気にかけてくれた担任の先生が通りかかって「1番でしたね! 感動しました!」と言ってくれた。
帰宅した息子に訊いたら、ほかの先生達にも声をかけてもらえたそうだ。
わたしも、自分で思った以上にうれしくて、スマホの録画を何度も何度も見てしまった。
学校行事で活躍することなんかない息子だけど、自分の子どもががんばっている姿ってこんなにうれしいんだな。
息子は、周囲にほめられたことと、ゲーム無制限の時間を勝ち取ったことがうれしそうだった。

でも、勝ち負けに拘る必要はぜんぜんないと思う。むしろ、これからもそのままの息子でいてほしい。
周りが喜ぶからって誰かのためにがんばらなくてもいい。
でもたまには、全力を出し切ってがんばってみてほしいし、なにかを勝ち取る喜びを知るのも悪くないよね。

そしてわたしは、もっと引いた目で息子を見て、彼がまだまだ小さな人であることを忘れないようにしようと思った運動会だった。























# by umitoramarine | 2025-11-22 13:27 | ハム太郎のこと | Comments(0)

小淵沢へ馬の旅(10月8日~10日)


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実はもうすぐ誕生日が近い。
それを口実に、自分へのプレゼントとして、2泊3日のひとり旅に行ってきた。
行き先は、2年ぶりの小淵沢。しずかなところで、馬に乗りたい気分だったのだ。

小淵沢までは、新宿から高速バスで2時間半で行ける。9時半のバスに乗り、本を読んでいたらあっという間だった。
インターチェンジから少し歩いたところの、思い出のお蕎麦屋さんでお昼ご飯を食べ、ホテルに向かい、あとはのんびり。
小淵沢は、標高1000メートルで東京よりはいくらか涼しいけれど寒くもなく、とても良い気候だった。

乗馬の予約は2回分していて、1回目は2日目で2時間、2回目は3日目で1時間。
出発の数日前に天気予報をチェックしたら、1日目が辛うじて曇り、2日3日目は70%の雨だった。
雨でも乗馬はできるんだけど、気持ちよく晴れの日に乗りたくて、神に祈った(笑)。
祈っていたら、次の日に3日目は曇りのマークになり、出発日には3日間とも曇りマークになり、実際には3日とも晴天に恵まれた。
わたしはスーパー晴れ女なのだ。
生まれる前に、「美貌に恵まれたい」とか「運動神経に恵まれたい」とか希望を聞いてもらえるところで、わたしは「お天気に恵まれたい」と望んできたのかもしれない、と思っている。

わたしの泊ったホテルは、小淵沢の小さな町から少しだけ山側へ上ったところにあって、周囲は別荘と農地と森が多い。それ以外はなにもない。
前回訪れたときは9月だったらしいのだが、今回も、歩道にたくさんの栗が落ちていた。大きめできれいな栗。
ついつい拾っていると、近くに停まっていた車の中で人が動く気配がした。
あ、この栗の木は、人の敷地にあるものなのよね……、とその場を離れようとすると、車の中から出てきたおじいさんに「おぃ」みたいな声で呼ばれた。
補聴器をつけた、80歳はとうに過ぎていそうなおじいさん。
「こんにちは」と挨拶したが、それに返事はなく、ぼそぼそとなにか言っている……と思ったら「あっち(道路)に落ちてるやつは、虫がついてるから。こっちのほうは昨日の夜落ちたやつで、まだ虫がついてないから、こっちを拾ってけ」とニコリともせずに言って、畑のほうへ行ってしまった。
愛想はまったくないが、やさしいおじさん。ほっこりした。
しかし、こんなに栗が落ちていると、熊が食べに来るんじゃないかと、ちょっと心配になってしまう。
この日も、次の日も、各地で熊に襲われた人のニュースが出ていた。



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さて、待望の乗馬の時間。
前回はカナディアンキャンプという乗馬クラブだったが、今回はロングライディング八ヶ岳さんにした。
理由は、体験乗馬でも2時間の乗馬が可能だったから(練習含む)。

わたしを乗せてくれたのは、人間で言うなら80歳くらいという、小柄でおだやかなおばあさん馬の「やまぶきちゃん」。
わたしはまだまだ馬との触れ合いが足りていなくて、馬の表情やしぐさから気持ちを読み取ることはまだできないんだけど、今回はわたしの前に連れてこられたやまぶきちゃんの気持ちがなんとなくわかった。「めんどくさい、いやだな」という気持ちで渋々歩いているような気がした。笑
馬はかしこいので、わたしが初心者なのを乗るまえから見抜いていたのかもしれない。
わたしも、最後に乗ってから1年以上経っていて自信がなかったのだけど、乗ってみると身体が思い出してくれて自然に動くことができた。インストラクターさんが「上手いですね。5鞍目とは思えない」と褒めてくれ、なんとなく、やまぶきちゃんも、はじめの嫌々そうな感じからちょっとやる気を出してくれたように感じた。しっとりとした森の中を、馬と進む。一定のリズムで揺られながら、無心になれる。
馬の背の上から、かわいいキノコが生えているのを何度も見つけた。
夫がキノコが好きで、見つけたら写真を撮ってきてと頼まれていたが、馬の上からではもちろん撮れない。ああ、可愛いなと思いながら通り過ぎた。

1日目の乗馬の後は、道の駅にある「延命の湯」で温泉。
ここの温泉は実はパワースポットなのだそうな……。特別な何かは感じなかったけど、乗馬の後の温泉はきもちよかったです。

2日目に乗せてくれたのもやまぶきちゃんで、ほかの馬に乗ってみたい気持ちもあったものの、やまぶきちゃんがなんとなくわたしを認識してくれたような気がしたので、うれしかった。

前の日に、やまぶきちゃんは甘いものが大好きと聞いて、おやつに持ってきていたミカンをあげたところ、ぶぇっと吐き出されてしまった。
すっぱいものは嫌だったみたい。隣の子は喜んで食べてくれたんだけど。
がっかりさせてごめんね、やまぶきちゃん。
今度行くときは、おみやげに黒糖を持っていくね。



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乗馬のほかに訪れたのは、2日目の午前中に行った小淵沢絵本美術館
行ったときはわたししかいなくて、静かにゆっくり、原画や絵本を眺めることができた。

あとは、ただぼんやりと散歩して、おいしいものを食べただけ。そんな3日間だった。
本を2冊持ってきたけど、行きのバスと帰りの電車で読んだだけで、ホテルでは開かず。
パソコンも持ってきたけれど、こちらもほとんど使わず。
なにをしていたのかというと、ただ頭も使わずぼんやりと感覚だけで動く、くらげやプランクトンみたいなかんじになっていたのかもしれない。

ふだん、なにをしていても頭の動きが止まらないほうなので、静かなところで、自然の一部みたいになって時間を過ごせて、よいおやすみにになりました。



# by umitoramarine | 2025-10-11 14:56 | おでかけ | Comments(4)

週末、息子とのお出かけ

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8月の終わり、夏はまだまだ続きそうな気がしたけれど、カレンダーをめくればやはりきちんと秋が来る。
まだ半そでで過ごしてはいるけれど、少しやさしくなった日差しも、風のにおいも、東京はすっかり秋色だ。

夏休みの間、暑すぎて日中はほとんど出かけられず、息子とプールばかり行っていた。
プールも陽射しが暑いので、日が暮れ始めてから出かけ、大きなスタジアムライトで照らされた水の中を泳ぐ。
そんなことを、週に2~3回はしていたので、息子は極端な運動不足にはならなかったと思うけど、涼しくなってきたので、週末は公園遊びや散歩に連れ出したくなってきた。

先週は、家から少し離れたところにある、ポニーがいる大きめの公園に誘ってみた。最後に行ってからもう1年以上は経っている。
直線距離なら家からそう遠くはないのだが、徒歩では遠すぎ、位置的に微妙で、電車を乗り継いで家から30分かかるのだ。
公園に着くと、まずはポニーに乗るチケットを2枚買った。ほんの25メートルほどの距離を往復で引いてくれるだけなので、あっという間だ。
待つ列もそう長くなく、息子は2回乗り終えると、「次はボート」と池のほうへ向かった。
途中、モルモットやうさぎがいる、ふれあいコーナーがある。前に来たときは、ここで長いことモルモットを抱っこしていた。
「行かないの?」と訊いたが、息子は「だいじょうぶ」とさっさと素通りする。
ふれあいコーナーには、以前、人間で言えば100歳に近そうな犬もいたのだが、横目で覗くと、犬の姿も犬のための赤いざぶとんもなくなっていた。

ボートは手漕ぎで、漕ぐのはいつもわたしの役目だ。
ひさしぶり過ぎて、オールをどちら周りに漕げばよいのかわからなくなってしまった。
なんとか乗り場から離れてしばらくすると「ぼくも漕いでみる」と言うので、座る場所を交換する。
位置が変わると、息子にもどちら回しと言えば良いのかまたわからなくなって、「あ、こうだよ。違った、こうかな?」なとど手を取っていたら、すぐに「もういい」と止めてしまった。すぐに教えようとせずに、しばらく放っておけばよかった、と思う。
また位置を代わり、バッグの中におやつがあるよと言うと、息子は一瞬ふしぎそうな顔をしたが、「食べる」と言ってバッグを漁り九州銘菓のおまんじゅうを取り出した。以前は、ボートの上でおやつを食べるのが小さなこだわりだったので、出がけにひとつ放り込んできたのだが、そのこだわりはもう忘れていたらしいなと、おまんじゅうをほおばる顔を見ながら思った。
30分が経ち、ボートから降りて「次はどうする?」と尋ねると、息子は「もう帰ろう」と言って出口を目指して歩きだす。「え、もう? 遊具とかは?」と訊くと、息子は池の向こう側のすべり台や砂場のあるコーナーに目をやった。小さな子ども達が遊んでいるのが見える。「大丈夫」。
「まだ来たばっかりなのに? 1時間も経ってないんじゃない?」と食い下がると「ぼくには十分長い時間だったよ。ポニーに2回乗って、ボートも乗ったし」などと言うので、しかたなくまた、駅を目指して歩きだした。

前回来たときは、あの遊具コーナーの近くにあった大きな切り株の割れ目に、どんぐりを転がして遊んでいたな、と思う。
池には小さな橋がかかっていて、渡るととても小さな神社があって、橋の上から池を眺めたり。ただ散歩するだけでも、いつまでもいられたのだ。
でももう、息子は小学3年生。そういう遊びをする年ごろではなくなってしまったんだろう。
考えてみると、ポニー乗りにも、ふれあいコーナーにも、遊具にも、いるのは未就学児かせいぜい小学校低学年の子たちだった。
ポニーには中学生以下が乗れるのだが、今日も並んでいる子たちの中で、息子が一番大きかった。
ポニーどころか、親と公園に来るなんてきっともう終わりかけなんだろうな、と気がつく。
公園だけじゃなく、一緒に出かけてくれるのも、せいぜいあと3年くらいなんだろう。

ふと、昔のことを思い出す。
子どもの頃、週末になると、母親が「ドライブに行こう」と言い出して、家族で出かけていた。
市街地を抜けてしばらく走り、山道に入る。どこか眺めの良いところで車を止めて、しばらくぶらぶらと歩き、道の駅のようなところで母が野菜などを買い物をして戻ってくる。日帰り温泉に寄ることもあった。母には楽しいお出かけだったのだろうが、中学生にもなると、窓の外に続く変哲のない緑をぼーっと眺めながら家族とは関係のない、自分の世界のことについて物思いにふけっているだけで、後部座席に同じく大きく成長した姉と弟と並んで座っているのも狭苦しく、あるときから「家にいる」と言うようになった。
行かないというと母は残念がり、「紅葉を見に行こうよ。きれいだよ」などと尚も誘ってきたが、「葉っぱなんか見てどうするの」と答えた。赤く色づいた葉っぱなんか、見ようと思わなくてもいくらでも家の周りにあるし、わざわざ出かけて見たければ勝手に見てきて、と思っていた。息子にも、遅かれ早かれそんな時期が来るんだろうなと思う。気持ちはわかる。そして今なら、母の気持ちもよくわかる。

息子は一人っ子のせいか、まだまだ甘えん坊だ。
外を歩けば自然と手をつないでくるし、わたしが猫達に甘い声でささやいて撫でまわせしていると、「ぼくも」とすり寄ってきたりする。
「一緒に遊ぼう」と誘われることもよくあるが、家にいると家事に追われていて「あとでね」と言うことが多い。
もう身長は130センチもあるのに、あまりにベタベタとまとわりついてくるのでうっとうしく、「やめて」と怒ってしまうこともある。
でもきっと、こんな日々をたまらなく懐かしく思う日がきっと来るんだろうな。
家事なんていいから、一緒に遊べばよかったと思うんだろう。
自分より背の高くなった息子を、抱きしめたいと思っても、手を触れることさえ躊躇わないといけなくなって、怒ったりしなければよかったと思うんだろう。

せつなくなって、今のうちにたくさん遊んでおこうと思った、帰り道だった。












# by umitoramarine | 2025-10-04 11:57 | おでかけ | Comments(0)

ある日の日記




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猫ボラ仲間のおばあさん達(Iさん、Sさん)に渡したいものがあったので、息子も連れて行くことにした。
夏の間、暑すぎて一度も行かなかったので、もう3カ月くらい会っていなかったのかもしれない。
サイゼリヤのランチに誘ってみたら「行きます」とのことだったので、うれしくなった。
前回誘ったときは、Iさんがあばら骨を骨折して杖をついていたせいか、ほかに理由があったのか、断られたので、ちょっと躊躇したのだ。
おばあさん達の近所でランチをするときはいつもサイゼリヤ。近くて入りやすいのと、お財布にやさしいから。
一緒にランチをするときは、いつもわたしが払う。
もう少しお金をかけてもわたしはかまわないのだけれど、おばあさん達が恐縮してしまうから、サイゼリヤは誘いやすいのだ。
ふと、今日は敬老の日だったことを思い出して、家の近くで小さなブーケをふたつ、息子に選ばせて買った。

約束の11時半の5分前に到着して、アパートのエレベーター前のベンチで待っていたら、知らないおばあさんがやってきた。
このアパートの住人は後期高齢者が多くを占めていて、毎月のように救急車が来るらしい。
「失礼するわね、重たくて」とおばあさんは荷物をベンチに置いたが、セリフとは裏腹に、声も表情もはつらつとしている。
「まだ暑いですしね」と相槌を打ちながら、おばあさんの小柄でしわくちゃながら、背筋がピンとしている様子を眺めた。
ブーケに目を留めたのか、「ここにおばあちゃんが住んでるの? 今日は敬老の日だものね」と息子に訊くので「実のおばあちゃんじゃないんですけど、かわいがってくれている方がいるんです」と代わりに答えた。「いいわね。敬老の日だものね。わたしは、祝ってくれる人はいなくても、一人でお祝いするの。今日の夜は一人で乾杯するわ」と明るい笑顔でおばあさんが言うのを聞いて、わたしはなんだか、自分のバッグを漁りたいきもちになった。なにかプレゼントできるものがあったらあげたい、という気持ちになったのだが、なにも持ってないのは知っていた。エレベーターが開いて、おばあさんは「バイバイ、また来てね!」と笑顔で去って行った。

入れ替わるように、IさんSさんの乗ったエレベーターが降りてきた。
息子が座ったまま、黙って差し出したブーケを「あら、ありがとう」と受け取り、「なんか、元気ないわね」とわたしに言う。
疲れているんですよ、と説明したが、小3の息子には、ひさしぶりに会うおばあちゃん達に駆け寄るのはもう恥ずかしいんだろうなと思った。
たぶん、これからますます、そっけない態度になって行くんだろう。息子の気持ちもわかるけど、ちょっぴり胸が痛くなる。

サイゼリヤで、Iさんはピザ、Sさんはグラタン、息子はドリアとチキンを頼み、わたしは冷たいスープとパン、グリーンピースのサラダを頼んだ。
「本当に早いわよね、あんなに小さかったのに」と息子の顔を見ながらIさんが言う。「赤ちゃんのときから知ってるから孫みたい。ううん、ひ孫かな」と。IさんSさんのお孫さんは20代で、どちらも昨年、ひ孫が生まれた。でも、生まれたときに一度会っただけでその後は会っていないという。息子にとっても、九州に住んでいて1年に1回しか会わない実の祖父母よりも、このおばあちゃん達のほうが近い存在のはずだ。
「かわいいひ孫がいてよかった。でも女の子だったらもっとよかったなあ。もう一人産んでくれたらよかったのに。妹を。ねえ、妹がいたらよかったわよね? そう思うでしょ?」とIさんが息子に同意を求める。わたしは、言われているのは自分のことなのに、そんなこと言っちゃってだいじょうぶなのかとちょっとハラハラしてしまった。二人目は、欲しいという気持ちもなかったので、Iさんの発言に傷つきもしなければ腹立ちもない。悪気がゼロなのもよくわかっている。でも、今の世代にとってこれは大爆弾なのもわかるし、もしもIさんが自分の血縁だったら、また違う感情を持ってしまいそうな気もしている。わたしはIさんもSさんも大好きなんだけど、敬老の日にそう遠くないところに住む本物の孫が来てくれないのは、こういうところなのかもなぁと、ちょっと思った。
最近、息子はあまり食欲がなく、朝も小さなパンをひとつしか食べていなかったけれど、スープを少しとチキンを4本、パンを半分以上、ドリアも1/3は食べたのでホッとした。やはりみんなで食べると食が進むのかもしれない。IさんSさんもきれいに食べて、デザートを勧めると、Sさんは首を振ったけど、Iさんはプリンを頼んでおいしそうに食べていた。4人分のランチの支払いは、たったの2310円だった。

食後、息子を公園に連れていく予定だったけれど、疲れたので帰りたいと言った。
帰宅するといつものごとくすぐにTVでyoutubeを観始めたので、わたしはふだん行かない街に買い物へ行くことにした。
わたしはTVやゲームの音が苦手なのだが、リビング以外に居場所がないので、息子が家でくつろいでいる間、わたしはリラックスできないのだ。
あまり人の多いところへ行く気にもなれなかったので、家から電車で30分の、あまり大きくない街にあるお店に行って、秋もののセーターとパンツ、ワンピースを買った。
トップの写真は、その帰りにひとやすみした喫茶室のコーヒーゼリー。
知らない街は、楽しかった。






# by umitoramarine | 2025-09-15 21:02 | つぶやき | Comments(2)

アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi