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4月のこと

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窓の外の緑が、ここ2週間で盛り盛りになってしまった。
4月ももう終わり。日本はGW真っただ中……と言っても、今年は並びが悪く、今日は平日。わたしは休みを取っている。

4月は2回、小旅行をした。そのことを書いておこう。
1回目は第一週の週末にかけて、家族で名古屋へ行ってきた。
春休み、なにをしたいか息子に尋ねると、お泊り好きな息子は案の定「ホテルに泊まりたい」と言った。
2泊3日の家族で行く小旅行は、これまで関東県内かせいぜい伊豆付近だったのだが、わたしは自分のために、今まで行ったことがない県に行きたかったので、名古屋へ行ってみることにした。

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調べると、名古屋にはジブリパークがあるようだったが、4月のチケットは既に売り切れていたし、息子もジブリはまだトトロしか観たことがないので、レゴランドへ行くことに。レゴランドはお台場にもあるけれど、屋内に小さな乗り物が2つあるだけ。名古屋のは小さめのディズニーランドくらい広く、いろんな乗り物があり、息子は大喜びだった。ディズニーと違うのは、待ち時間が長くても15分くらいで済んだこと。ディズニーなんて、1日の大半を並ぶのに費やし、予約がないとレストランにも入れなくて疲弊するばかりなので、レゴランドはほどよかった。夜はレゴランドホテルに宿泊。夜ごはんのビュッフェが、値段のわりに、大人にとってはあまり食の進むものではなかったんだけど、いつもビュッフェでパンばかり食べる息子が喜んでいろいろ食べていたのでそれはよかった。

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レゴランドを2日楽しみ、最終日は名古屋観光。
熱田神宮や、大きな動植物園のある公園もあるらしいけど、息子は名古屋城を選んだ。
マインクラフトが好きなので、お城のインテリアが見たかったらしい。


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ちょうど桜祭りをやっていて、出店がたくさんあり、にぎやかで楽しかった。
その後、名古屋市立科学館へ行き、いろんな実験をして遊んで帰宅。
名古屋は工場が多いとは聴いていたけれど、車で橋を渡ったときに両側に見渡す限りの工業地帯があり、まるで映画の風景のようでとても印象的だった。
新幹線で2時間半は思ったほど遠くなく、また行きたいと思った。


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そして第2週目。幼なじみ I と大阪へ行ってきた。
大阪にはもう一人の幼なじみNがいて、NとIとは九州の田舎町で、小学校から高校までずっと一緒だった。
Iは転勤族で、今は東京にいるのでときどき会うのだが、Nとは大学を卒業してすぐの頃に1度会っただけ。
先日、Iとご飯を食べながら「会いたいね。会いに行こうよ」と言ったらとんとん拍子にプランが決まり、再開が実現した。


最後に3人で集まってから26年間、決してマメに連絡を取り合っていたわけではなくて、本当に見えない細い糸で、知らないまま繋がっていたような感じ。
それでも、離れていた時間がまるでなかったかのように、顔を合わせたとたんに「いつものわたしたち」になっていた。
大阪の友達Nが予約しておいてくれたカフェバーでランチを食べて、心斎橋をうろつき、夜はお好み焼き。
本当は、3人で泊まれたらよかったんだけど、Nの都合がつかず、ホテルのロビーで22時過ぎまでおしゃべりしてから解散。
楽しかったなぁ。まだまだずっとしゃべっていられそうだった。

次の日は、Iとまた心斎橋をぶらついて、たこ焼きを食べてカラオケへ。そして I は一足先に東京へ戻り、わたしは大阪の別の友人Kちゃんと合流して夕ご飯。
Kちゃんとももう15年ほどの付き合いになる。
遠いのであまり会えないんだけど、気持ちはいつも近くにいる友達。

大阪へ行くのは、もう4~5回目になるけれど、あまりゆっくり歩きまわったことがなく、どんなものがあるのかわからない。
(NもKちゃんも、『USJくらいしかない』と言う。)
Kちゃんも「行きたいとこあったら付き合うで」と言ってくれていたけれど、なにがあるのかよくわからないし、ガイドブックをめくってみても、食べ物の紹介が主で……。
でも、ネットでひとつだけ行ってみたい場所を見つけた。
中ノ島にある、子どもの本の森
まだ数年前にできたばかりのようで、入館は予約制だったけど、当日枠があると書いてあったので、いちかばちかで次の日行ってみることにした。
Kちゃんも朝からでも付き合うと言ってくれたけど、Kちゃんはあまり本に興味がないし、わたしもひとり本の世界に浸りたかったので、ひとりで。



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予約はいっぱいの日だったんだけど、当日枠で来る人は多くないようで、すんなり入れた。
入替制で90分しかいられず、本の背を眺めているうちに時間が経ってしまったんだけど、楽しかったなぁ。
最近、児童文学から離れてしまっているんだけれど、ここにいるうちになんとなく、忘れていた気持ちが蘇ってきた気がした。
もうこれを書いている今は、すでに日常に流されてしまっているんだけどね……。

Kちゃんが中ノ島まで来てくれて、川沿いにあったお店でランチをした。
この辺りは、空が広くて気持ちがよかったなあ。ちょっと横浜みたい。
大阪の好きな場所になった。


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ランチのあとはKちゃんが新大阪駅まで送ってくれて、お土産の551を買って新幹線の時間までお茶。
なかなか会えない大切な友達に会えて、楽しい3日間だった。

この4月で、やりたいことリストのうち、

・行ったことのない場所へ行く
・Nに会いにいく
・Kちゃんと会う

の3つを達成できた~。
やっぱり、文字にすることって力になる気がする。
100コのリストはまだ未完成なんだけど、これからも、やりたいことをどんどん叶えていきたいな。


# by umitoramarine | 2025-04-27 08:49 | おでかけ | Comments(0)

おやすみなさいおつきさま

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ハム太が3カ月のときから、読み聞かせをしている。
わたし自身が小さな頃から本が大好きなので、読み聞かせること自体が楽しかったのと、ハム太にも本好きになってほしかったのだ。
さて、8才になったハム太は、今でも読み聞かせは好きだが、自分で読む本と言えばゲームの攻略本か、図鑑系の本がほとんど。
親の思惑通りには行かないものだ。

ある土曜日の夜、ハム太が小さな癇癪を起したことがあった。
詳細は省くが、ゲームの使用に関することで、次の日が休みとはいえもう寝ているはずの時間だからゲームはなし、ということから泣いて怒った。
「なにも楽しいことがない!」と怒っていたが、落ち着いて「今日はもう寝よう。本を読んであげるから選んで」と返した。
「なにか面白い本あるの!?」とまだ怒りながら訊くので、「自分で選んでごらん」と言った。

さてどの本を選ぶのかと思っていたら、持ってきたのは「おやすみなさいおつきさま」。
エキサイティングとは言えない本だが、ハム太なりに、荒れた気持ちを静めたくてこの本を選んだような気がした。

日本では1979年に出版されたこの本はロングセラーだが、わたしは子どもの頃には出会わなかった。
幼い頃から読むのが好きなあまり、字が少ない絵本はあっという間に読み終えてしまうので、あまり手が伸びなかったせいかもしれない。
ハム太に読んであげる本を探して、古本屋で購入しだときは、色づかいが独特でかわらしいと思ったけれど、そこまで良さがわかっていたわけではない。
読み聞かせることではじめてきちんと「読んだ」。

ベッドに入ったうさぎが、目に映るものに、ひとつひとつ「おやすみ」を言っていく。ただそれだけなのだけど。
「おやすみ」を聴くたびに、知らず知らず、ここちよい眠りへと誘われていく。

どちらかと言えば色鮮やかな部屋の合間に、ところどころにあるモノクロのページ。この存在もきっと眠りへと誘う魔法のひとつ。
ゆったりとしたリズム。
原書では、「good night kittens, good night mittens. 」「good night bears, good night chairs」と韻を踏むところがたくさん出てくる。
日本語訳でははその韻は成立していないのだが、ひとつだけ見事な韻がある。
「おやすみ、だれかさん。おやすみ、おかゆさん」というところ。
逆に英語では、このページは「good night nobody, good night the mash」と韻は無いのだけれど、nobodyとmashの組み合わせにはなにか意図があるのかな。

「だれかさん」のところで、息子の顔を見ると、息子は寄り添ってきて、こう言う。
「ねえ、明日の朝ごはん、おかゆがいいな」

原書の大きな特徴のひとつである韻がほとんど成立していないのに、日本でも長年読み継がれている、底力のある絵本。
でも、韻がなくてもすばらしい訳だと思う。
最後の一文、「おやすみ そここできこえるおとたちも」は、原文の「good night noises everywhere」よりもずっと情緒があるように感じる。

この本を読み聞かせていると、自分自身の心も、少しずつ落ち着いていくのがわかる。
隣のハム太も、さっきまで真昼のようにキラキラしていた目に、まぶたが落ちてくる。

読み終えて、ゆっくり本を閉じ、枕もとの明かりを消す。


次の朝、目を覚ましたハム太が、くるりと身体をこちらに向けて言った。
「ねえ、昨日の夜、あんなに怒っちゃってごめん」

おやすみ前の読み聞かせは、眠っている間も子どもを包んでくれているのかもしれない。






# by umitoramarine | 2025-03-15 10:50 | ハム太郎のこと | Comments(0)

名前のない関係について

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ある人とお別れすることになった。
その人との関係は、言うなれば、お店の人とその客、といったもので、お別れになった理由はその人が職場を辞めるからである。
サービスを提供する側とその客としては、良い関係だったと思うけれど、友達でもないし、きっともう会うことはない。

その人に、とてもお世話になったと感じていることがあって、最後の日に、感謝の気持ちを伝えたのだけれど、なんだか言い足りない気がしてしかたない。
その人からすると、目の前の仕事を一生懸命にやっただけなのはわかっている。
わたしは、そのときにそこにいて、その役割を担ってくれたのがその人で本当によかったと感じていて、言葉ではそのようなことを伝えたはずなのに、どうしても、上手く言えなかった気がしてしまう。

ではなんと言えばよかったのだろうと考えると。
本当に言いたかったのは、「あなたに会えてよかった」ということだったのかもしれないと思った。
その人は異性で、そんなことを言うと変な風に捉えられてしまうだろうから尚更、そのままには伝えるわけにはいかない。
でも、言い足りなかったのは、きっとそのことだったのだと思う。
わたしの人生の一部を、一緒に過ごしてくれてありがとうと。
それがただ、客と店員のような関係だったとしても。
そして、その人が店員でなくなったとき、わたしも客ではなくなって、名前のない関係になったとしても。

家族とか恋人とか友達とか、名前のつけられる関係の外に、思いのほか、名前はないけれど大切な関係があることを感じるようになった。
なにかで繋がっているわけではないから、その場を過ぎればもう終わってしまう関係だけど、実はそんな名前のない関係に多くを支えられていることを。
だから人は、たとえ大切なものをすべて失ったときも、生きていけるのだろう。名前のないものに支えられているからこそ。
家族も恋人も友達もいなくても生きていけるかもしれないけれど、名の無い関係の人々までも全て消え去ってしまったら、生きていけるとは思えない。

家族や恋人や友達には、プレゼントをしたり、言葉で伝えたり、そばにいることによって、「そこにいてくれてありがとう」を伝えられる。
でも、たとえばスーパーのレジにいる感じのよい店員さんに「そこにいてくれてありがとう」を伝える機会はなかなかない。
「ありがとう」と感じて「ありがとう」と言える距離の関係は尊い。

だけれど、伝えることはできないけれど、名前のない関係のあなたに、たくさんのあなたたちに「ありがとう」。
出会ってくれてありがとう。そこにいてくれてありがとう。
あなたがそこにいてくれたことで、わたしの人生はたしかに、少し良いものになっていると思うのです。

そしてわたしも、あなたの人生に大きく関わることはないとしても、小さな力の一部になれていたとしたら、とてもうれしい。







# by umitoramarine | 2025-02-05 13:33 | つぶやき | Comments(0)

2025年 今年もよろしくね。

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新年明けまして、今日はもう1月の7日です。
これを読む皆さんが、穏やかで楽しい一年を過ごされますように。今年もよろしくお願いします。


知り合いのFBの投稿を見て、今日は「七草の節句」であることを知り、朝からお粥を炊いて息子の朝ごはんにした。
買ってあった、フリーズドライの七草を入れたので、たぶん生の野菜より食べやすかったのか、息子は「おいしい」と食べてくれた。
釜揚げしらすと海苔と胡麻も入れて。わたしはお昼にいただこう。

2025年が始まってたった1週間なんだけど、すでにそれなりにいろんなことがあった。
中でも元日のできごとは、たぶん1年のうちでも大きいできごとになるんだろう。
なんと、新年早々、息子を救急病院へ連れていくことになったのだ。

うちはいつもお節を注文し、わたしはお雑煮を作るだけなんだけど、お節の蓋を取ったときに、エビの上に明るいグリーンが見えた。
頭のどこかではそれをピスタチオだと認識していたのに、夫が息子にエビを勧めたとき、わたしの脳のアラームは鳴らなかった。
やっと気がついたのは、エビを食べた息子が「からい」と言って水を飲み、唇が痒いと言い始めたとき。
さっき見た、オレンジ色のエビに飾られたライトグリーンの粒々が一瞬にしてフラッシュバックした。ナッツ!! 
息子はナッツアレルギーなのだ。
どのくらい食べたのかわからないけれど、2才で初めてナッツを口にして救急車を呼んだときは、咳き込んで口にした小さなクッキーをほとんど吐き出していた。
そして、1時間後くらいにアナフィラキシーの症状が出た。

救急車を呼ぶべき? でもきっと、症状が出るまでにはまだ時間がある。
息子が大きな声で泣き始めた。あのときもそうだった。「苦しいの?」と聞くと「こわいの! ぼくは死にたくない!」と言う。
苦しいのではなくてよかったが、息子が泣きじゃくるのでさらに焦りがつのった。
夫にタクシーを呼ぶように頼んで、薬の入った抽斗を漁った。
2才のときに出された、こんなときのための飲み薬を、古くなっても捨てられずにいたけれど、さすがにもう駄目だろうと最近捨てた。
でも、薬袋をひとつひとつ見たら、息子の名前がある袋に「アレロック」の錠剤が見つかった! 先月、りんご病の湿疹がなかなか治らなくて病院へ行き、「多形紅斑」と診断されたときに貰ったものだ。
アレロックを1錠、息子に渡して飲むように言うと、いつもは薬を飲むのをできるだけ抵抗する息子もとても素直に飲み下した。

そうこうしているうちにタクシーが到着し、いつもなら当たり前についてくる夫が動揺していたのか「僕どうする? ついて行ったほうがいい?」などと言い出したので「どっちでもいいよ」と言うと残ることにしたらしく、息子と二人でタクシーに乗り込んだ。
息子は唇が腫れていて痒がってはいるものの、それ以外の症状は出ていなくて、ただ「ねえ、どうしたらいいの? ぼくは死にたくない」と言い続けていて、わたしも「大丈夫、もうすぐ病院に着くし、病院にさえいれば、症状が出たらお医者さんがなんとかしてくれるから、死なないよ」と言い聞かせた。

救急病院の待合室は、思ったより落ち着いていて、小さな子どもを連れた親子連れが何組かいるだけだった。
それでも、診てもらえるまでに1時間半ほど待った。たぶん、アレロックが効いたんだろう。息子の唇はまだ赤いけれど腫れたかんじはかなり治まっていて、待っている間に新たな症状が出ることもなく、お医者さんはそれでもきちんと赤みの出やすい肘や膝の裏側や太ももなどを確認してくれた。

念のための薬を処方してもらい、受け取って帰るころには陽が傾いてきていて、息子は「お腹すいた。フレンチトーストが食べたい」と言った。
『フレンチのお節のエビにのっていたピスタチオ』と何度も聞くうちに、フレンチトーストが食べたくなったそうだ。
帰って、冷凍してあった食パンでフレンチトーストを食べると、息子は丸ごとペロリと平らげた。
これが、2025年の幕開け。

2才でのアレルギー発覚から6年間、なにごともなく来られて、ちょっと油断してしまっていたんだと思う。
気を引き締めなさい、という新年のお達しと、大切に受け取っておこう。

2日は夫方の両親と兄一家と夕飯。
3日は、前から息子を連れていきたかった、横浜のこどもの国へ行ってきた。
都内から人の減るお正月だから、空いているかと思ったけれど、当ては外れて、長いローラー滑り台で20分ほど待つほどの込み具合。
それでも、広大が敷地で、ゆっくり遊べたと思う。
敷地の一部に、雪印の牧場があって、そこで食べたソフトクリームは今まで食べた中で一番と言っていいほどおいしかった。




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5日は、何年ぶりになるのか、友人のひとりと会ってランチ。
知り合ってもう10年近く経つのかもしれないけれど、そう深い付き合いでもなく、でもなんとなく馬が合うふしぎな友人。
今回も楽しい時間を過ごせた。
彼女が英語の勉強をがんばると言っているのを聞いて、わたしも少し語学への意欲が上がった。

わたしは今年も引き続き、「2025年したいこと100」を書いてます。
それからもうひとつ、友達に教わった、「3 good things」というのを始めた。
夜寝る前に、その日あった良いことを3つノートに書くの。考えるのじゃなくて書くことがポイントらしい。
見返すこともできるし、良い印象が定着するからなのかな。
このためにおろしたノートは、10年前にハワイで買ったもの。やっとの出番!


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今年の終わりごろには、このノートが良いことであふれているはず。
そんな気持ちで、2025年を滑り出します。



# by umitoramarine | 2025-01-07 18:08 | つぶやき | Comments(2)

12月30日 

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11月の終わりにブログを書こうとして、結局、書き終われなかったんだけど、そのときに載せた定点観測の風景では公孫樹が黄金に輝いていた。
今日は12月30日。窓の外はすっかり真冬の木立らしくなっている。

と言っても、今年は本当にあたたかく、わたしは結局、衣替えをしないまま年を越そうとしている。
もちろん、長袖にコートは着ているけれど、いつもクローゼットに入っているものだけで事足りてしまったかんじ。

さて、今年をふりかえって見ると、わたしにとっては変化の一年だったんだろうな。
まず大きいのは、病を得たこと。思えば前の年からそれは始まっていたんだと思うけど、見過ごせなくなり、今年の初めに診断が出た。
一時は、ふつうに歩くのも難しく、「信号が黄色から赤に変わりそうな横断歩道で駆けだすことはもうできない」という、SNSで見かけた老齢の女性のつぶやきに深く共感してしまったけれど、今は薬のおかげで、傍目にはわからないくらいにふつうの生活を送れている。
とは言っても、服薬して、月に1度は通院しているし、調子の悪いときは悪い。前のように、どこまでも散歩に行きたいとは思わないし、家の中で立ち上がるのも億劫な日が増えた。でも、昔はもっと、人生が一変してしまうような病気だったらしいので、当時と比べたらなんでもないことなんだと思う。

ほかには、更年期に入ったこと。年齢的にはごくふつうのことなんだけど、わたしは実は「更年期」と「更年期障害」の違いも知らず、年上の友人達が聞かせてくれる話も、自分からはまだ遠いことのように思っていた。ただ、服薬の副作用の話をしているときに「それは更年期もあるかも」なんて指摘を受けて、慌てて更年期の本を読み、自分がすでに更年期に入っていることを自覚した。これまで更年期といえばホットフラッシュとかイライラするとか、そんな程度の知識しかなかったんだけど、いろいろと自分を労わるべき時期なんだなとわかったので、無理せずやっていこうと思う。

それから、家の中のこともいろいろあった。と過去形で書きたいけれど、現在形で、これからも続いていくんだろうなってこと。

良かったのは、上記のどれも、わたしをあまり大きく揺るがせていないことだ。
これが10年前だったら、きっともっと、ひとつひとつに動揺していた気がするけれど、病気が判明したときも「そうかぁ~」という感じだった。敢えて暗いほうに目を向けたら、自分が「できなくなること」を考え始めるんだけど、そこにフォーカスしなくていいや、と思う。悲劇のヒロインになってもしかたない。もうヒロインって年齢でもないしね。笑 それより、できることをできるうちに楽しんでおきたい!

そういえば、今年のはじめに「やりたいことリスト100」っていうのをやった。
たしか、そういうものがあると知ったのは年が明けてからで、新年というより、最初の1~2カ月くらいを使って80くらいを書き出した。その後は、思いついて書き足していったので、本来のやり方とは違うと思う。それと、あまり実現可能かどうかは考えなくていいみたい。
ネットにいろいろとやり方が載っていて、書いた人によってもちょっと方向性が違う気がするから、好きなやり方でいいと思う。
カテゴリー別に分けて書くやり方もあるみたいだけど、わたしはただ、思いついた順に並べて書いただけ。
達成してクロスアウトするのは楽しかった。
今数えたら、100のうち39、クロスアウトできていて、自分的にはけっこうよくやれたと思う! 
今見返すと、クロスアウトできなかったものの中には、もう「やりたいこと」ではないこともある。
そういうことを知るのもいいな。
これは今年もやろうと思う。

そうそう、断捨離は一時期、調子よくできていたんだけど、身体を動かすのが億劫な日が増えてからあまり進まなくなった。
でも、先月、父と奥さんが遊びに来て「なんだか前より部屋がすっきりしたね」と言われたので、少しは効果があったんだと思う。
今年も細々とでも、物を減らしていきたいな。

そういえば、さっき数えたら、今年はブログの記事を9本書いていた。これを合わせて10本。自分で思っていたよりは多かった。
本当はもっと書きたかったことがあって、書きかけのまま保存してあるんだけど、思ったより書けていたことに満足。

来年も、忘れたころに更新になるんだろうけれど、よろしくお願いしまーす!

# by umitoramarine | 2024-12-30 10:08 | つぶやき | Comments(2)

アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi