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アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi
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老猫ホーム開業

もう8月も終わり。すっかりご無沙汰してしまいました。

実は、8月5日にパリちゃんが倒れたのです。
夫からの電話で、外出先からタクシーで帰宅。
間に合わないのかもと思ったけれど、家に着いたときも、パリちゃんは痙攣の真っ最中。
痙攣を起こすのは初めてのことで、わたしは、最期に苦しみでもがいているのかと思ったのですが、そうではなく、てんかんの発作だったみたい。その日は日曜日で、困って電話したボラ仲間さんがてんかん薬を持って駆けつけてくれたものの薬の効果はなく、次の日病院で別のてんかん薬を打ってもらったけれど、それも効かずで5分ごとに息荒く横たわったままもがくパリちゃん。そのまま3日間、自分では足1本動かすことなく、目も閉じられないのか黒々と瞳孔の開いた目で横たわるパリちゃんを見て、遠くない別れを覚悟したのでした。

もともと、パリちゃんを引き取ったときから、超高齢のため、病気などの積極的な治療は行わず、安らかな老後を目指そうと決めていました。でも、なんだかんだ、病院へ連れて行ってしまっていましたが……。

寝たきりになったパリちゃんを見て、「延命はしない」「楽に逝けるようにサポートしよう」と改めて思ったのですが、実はそれが難しかった。例えば、寝たきりで食事も取れないけど、喉乾くよね? お腹が空いて苦しいんじゃないの? しかし、下手に口に何かを押し込んで、呼吸困難になってしまったら? 考えても、誰かに聞いても、「絶対そうだ」って答えはなくて・・・。何かを「やる」だけじゃなく「やらない」のもわたしが決めないといけない。自分で考えて自分の決断を信じるしかない。それって結構しんどいことでした。

初めは、シリンジでの強制給餌などしないことにしようと思っていましたが。3日目あたりに、液状のフードを指につけて口元に持って行ったら舐めることができたので、少しずつ与えることに。そしたら、そのうち、食べられる量が増え、シリンジで口に入れてあげたら1日1〜2パック食べられるようになってきた。それでも、気休めみたいなものだと思ってましたが、なんと、4日目にパリちゃんが急に歩いたんです! 歩くと行っても、2〜3歩、両足もしっかり立たずゾンビみたいな動きでしたけど。もう動けないとばかり思っていたので、驚きました。

そのときも、最後の頑張りってこともあるから、と思っていたのですが、パリちゃんの食事量は日々増えて行き、いつのまにか場所移動していることも増え、ついに、割としっかり両足で立てるようになったんです。

でも、あの発作は、やはり脳にダメージを与えたのか、パリちゃんは元のパリちゃんではなくなりました。一体どこへ行きたいのか、壁に向かって進もうとしていることもあったり、ご飯は支えてあげないと食べられず、トイレにもいけないのでオムツ姿です。

毎朝、パリちゃんのオムツを替え、部屋の掃除をし(どうしても、オムツから漏れてしまう)、支えてご飯を食べさせ、輸液をし。輸液以外は昼も夜も、一日何度もやります。

輸液を続けることも、パリちゃんにとって良いのか悪いのか悩みましたが、ボラ仲間さんや病院で聞いた結果、「脱水は苦しいものだから続けてあげていいと思う」とのことで、毎日輸液をしています。正直、水を自分で飲むこともできないので、輸液をしていなければパリちゃんはとっくに亡くなっていると思います。でも、無駄な延命なのかどうかは、わからない・・・。わたしの希望は、あまり苦しまずに逝ってほしいということで、輸液を続けながらある日眠るように亡くなってくれたら、乾きで苦しんで亡くなるよりいいのかなぁ、という考えです。

でも、ここ一月近く、ずっと「パリちゃんを苦しめることなく見送る」スタンスでいたんですが、ある日、気づいたんです。パリちゃん本人は、死ぬ気がないのでは、と。なんだか、気がつけば1日10パックものフードを平らげ(でも液状じゃないと食べられないんですが)、食後に顔を拭いてあげていると「すまないね」って、以前と同じ顔で伝えてくれるパリちゃん。こっちは、もうこの歳だし・・・って思ってたけど、あ、生きる気満々?笑 

そこで、5日ごとに貰いに行っていた輸液を、先日は10日ぶん出して貰いました。まだまだ、1月ぶんとかはもらえないです。でも、ここは「緩和ケア病棟」じゃなく「特別養護老猫ホーム」だって認識を改めました。

外にいたら、パリはもっと前に亡くなっていたことでしょう。家に入れたら、パリの代わりに、わたしが全部考えて決めないといけない。それは大変な責任だし、毎日のお世話も大変じゃないっていうと嘘になります。いや、大変よ。しかしながら、こうして、少しずつ衰えていく姿を見せてくれるパリちゃんに感謝もしています。命が簡単に散ることもあるけれど、そう簡単に果てるものではないっていうのも教えてくれた。やや認知症っぽくて、わたしが誰だか、自分がどこにいるのか、どこまでわかっているのかわかりませんが、かつてはご飯をあげるのに近づくだけで「シャー」って言ってたパリちゃんが、抵抗もせず、わたしの足の間でおすわりのできない赤ちゃんみたいなかっこでご飯を食べている。

なんだかこんな時間が過ごせるもの、贈り物のような気もする。
もし、8月5日にあっさりとパリちゃんが逝っていたら、わたしはきっとすでに立ち直っていることでしょう。元々、もう長くないからこそ引き取ったというのもあるし、これは死生観の問題で、わたしは「死」そのものを忌むべきと思ってないんです。もちろん、若くして不慮の事故や病死は悲しい。逝く方も残される方も、それを見る人たちも。でも、大往生ならね、誰もがいつか死ぬのだからって思う。もし、わたしの猫が死んだら、100歳まで生きた後でも嘆き悲しむと思いますが、それは死が悲しいからじゃなく、わたしが自分の猫に依存しているからなんです。依存が悪いわけではなく、家族とは依存し合うものだと思う。だから亡くなると悲しい。だけどパリちゃんには、とても愛情は持っていますが、依存はしていないのです。だから、亡くなると少し寂しいけれど、嘆き悲しむということはないと思う。でもこうして、否応無しに濃い日々を共に過ごして、パリはどうしたいのか? 幸せなのか? どう感じているのか? 何をしてあげられるのか?なんて色々考えていると・・・少しずつ、家族になってくる気がする。あっさりとさよならをするより、ちょっと涙が増えるかもしれない。でもこれって、ギフトだよなあって、思うんです。

いつまで続くのか、明日終わったっておかしくないし、もしかしたらあと数ヶ月、あと1年? さすがに数年はもたないと思いますが、贈り物の日々、大切に過ごして行きたいと思います。

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by umitoramarine | 2018-09-01 00:10 | ねこばなし | Comments(0)