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アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi
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ありがとう、パリちゃん

9月29日の夜、パリちゃんが亡くなりました。
前日から急に食欲がなくなり、今度こそお別れなのだなあと覚悟していました。

その日は、朝から何も食べず、たまに水を含ませて体の向きを変えてあげるとき以外、スースーと同じ姿勢で深く眠っていました。夜21時過ぎにお水を飲ませて、その日なかなか寝付かなかった息子がやっと眠りに落ちた23時過ぎ、様子を見に行ったら既に亡くなっていました。きっと、最後のお水を飲んだ後すぐあたりに亡くなったのかなぁ。
その場にいてあげることはできなかったけど、それはきっとそうなるだろうと思っていました。

前日の夜、ゆっくり抱っこして話しかけたとき、パリちゃんは最後の力を使ってゆらりゆらりと尻尾を揺らしてくれたの。「ありがとう」と言ってくれたように思いました。8月頭に倒れて復活してから、苦しそうにしていることも多かったけど、旅立ち前の数日前からパリちゃんは穏やかに眠っていることが多くて、わたしも今度ばかりは本当のお別れなのだと受け止められたし、最後の瞬間にいてあげることはなかったけれど、多分、眠りがまた一段深くなるように亡くなったのだと思います。悔いはありません。

昨日は1日雨だったので、本日、パリちゃんがもともといた場所に埋葬してきました。
普段あまり顔を合わせることのないボラが総勢8名集まりました。
パリちゃんにお線香をあげて、みんなが手を合わせたとき、ボラのIさんが、「パリちゃん、ありがとう」と声に出して言いました。

そうなの。ありがとう、なのよね。お疲れ様、より、安らかに、より、一番言いたいのは「ありがとう」。
ここにいる人達は、猫の世話をしていると言いながら、自分がいかに猫に助けられているかよくわかっている。
慰めとか癒しとかそういうのじゃない。それももちろん多少はあるけど。
毎日、大変だけど猫の世話をしに行く。それが一方的に与えてるだけじゃなくて、それによって自分が支えられているということもよくわかっている。猫ボラと言っても、わたし達はなんの団体でもなく、勝手に猫の世話をしている個人の集まりなのです。猫の世話をしながら、いつの間にか出会った人々。奇跡のようだなあと、たまに思います。

(蛇足ではありますが、わたしたちは完全にTNRを行っており、病気になれば病院へ連れて行き、先の短い猫はパリ同様誰かが引き取って家で面倒を見ています。先人の努力によりこの地域の人々には餌やりをご理解いただいてます。)


そういえば、祖父のお葬式の時も思ったんだけど、愛されていた人のお葬式に出ると、悲しみよりなんだかほっこりする気がします。今日は、普段顔を合わせないボラさん達に会って、みんな和やかで、こういうと語弊があるけど、良い時間を過ごせたのです。こんな良い時間をくれて、パリありがとうって改めて思って。わたしもそういう人になりたいものです。

さて、わたしはと言えば、実はあまりまだ実感が湧かず・・・昨日は、頭ではもう必要ないとわかっていつつ、これまでのように何度も、パリちゃんの様子を確認してしまいました。生きていた時と同じクッションの上で眠っているみたいだったから。今朝も、起きてからいつものように「パリちゃんは・・」と思ってしまった。亡くなったことを忘れたわけじゃないのに、どうも落ち着かない。そして午後、パリちゃんを埋葬してからは、なんだかパリの部屋に入る気がしません。昨日は、ついパリの亡骸に話しかけたり、撫でたり、埋葬前に少しでも綺麗にしてあげようと櫛をかけて体を拭いてあげたり、自分でもよくできるなぁと感じるほど、生きているように接していたのに、パリを送り出した今となって部屋に入るのがこわくなってしまいました。不在を確かめるのが嫌なのかなあ。自分の心が自分でもよくわかりませんが、なので、部屋のドアは閉めたまま。

でも今度息子が預かりの日に、お部屋は丁寧に掃除をしようと思います。
隅々まできれいにして、部屋の空気を入れ替えて、ここ9ヶ月パリ部屋となっていた自分の部屋を取り戻そう。
お部屋をきれいにしても、パリちゃんを忘れることはないから。

いつでもシャーだったパリちゃんが、心を開いてくれてとっても嬉しかった。
パリちゃんと同じ屋根の下で暮らした9ヶ月、楽しかったよ。
ありがとう、パリちゃん。また会おうね。




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by umitoramarine | 2018-10-01 23:09 | ねこばなし | Comments(0)