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アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi
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魔法のカップ 

以前は、たまに気が向いたときに口にする程度だったのですが、最近、毎日のようにコーヒーを飲むようになりました。ずっと家にいるからかなぁ。日用品以外、大した買い物もないから、外に出ると気晴らしも兼ねてスタバなどに寄ってしまう。昔はコーヒーの味なんてわからないで飲んでたけど、しょっちゅう飲んでいたら、さすがに味の違いもわかってきます。

夫はもともと、毎日コーヒーが欠かせない人。最近、プレゼントにコーヒー豆とドリッパーを頂いてきて、朝からわたしの分も淹れてくれるようになりました。でも、慣れないので、味が安定しないというか・・・よく言えば、様々な味が楽しめるので、毎朝テイスティングしています。

そんなある日、リトアニアの雑貨を扱うお店の企画展で、ある作家さんの陶器に惚れてしまい、マグカップを買ったわたくし。

見て〜可愛いでしょう〜?


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同じ作家さんのお皿や花瓶やゴブレットなど、100点は優に超えるだけの数が並んでいて、その全部に違う絵が描かれてるいたんです。一つ一つ、丁寧に見た中から選んだお気に入りです。

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マグカップとしては良いお値段だったのですが、自分のぶんだけっていうのも・・・と思って、夫のも買いました。
夫のは、ちなみに、魚柄です。

カップを買った次の日、使うのが勿体無い反面、使わないのも勿体無いので、さっそくこのカップにコーヒーを淹れてもらいました。

そしたら、なんと!!
なんだかコーヒーがまろやかで美味しい。

お気に入りのカップで飲むから?と思ったけど、夫も同じように感じたようで。
スタバからタンブラーで買ってきたコーヒーをカップに移して飲むと、タンブラーに残っているぶんとは明らかに味が違うんです。

このカップは糸底が素焼きになっていて、熱いコーヒーを注いで置いておくと、底面だけ汗をかくんです。
つまり、酸素に触れてまろやかになるのかな??
理屈はわからないけど、可愛いだけじゃなくてコーヒーの味がはっきり変わっちゃうカップ。
魔法のカップです。
良いお買い物でした。



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# by umitoramarine | 2018-04-23 00:23 | つぶやき | Comments(2)
先週、数年ぶりに故郷に帰っていました。
おばあちゃんに会って、曽孫であるハム太を見せるためです。

おばあちゃんは認知症で、ここ数年は施設で暮らしています。
先日、久しぶりに電話をしてみたら、なんだかストンと人格が抜けてしまったような話し方で、認知症が進んでいるのがわかりました。昔は電話に出るたび必ず「Umiちゃんね」と名前を呼んでくれたのにそれもなく、会話の中でもいろんな時を彷徨っているのがわかって。でも、顔を見たらきっと思い出してくれると思って会いに行ったのです。

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わたしとハム太に会ったおばあちゃんの反応は、でも、期待していたようなものではなくて、「孫のUmiよ、わかる?」と声をかけたわたしに微笑みながら「わかりません」と言いました。正直なところ、ガッカリしたけれど、予想できることでもあったので落ち込みはせず、反応の薄いおばあちゃんに一方的に話しかけながら、1時間ほど一緒に過ごしました。

ハム太のことを曽孫と説明したけれど、「そうですか」との答えにはあまり届いている感はなく、それでも小さな子は単純に可愛いのか、おばあちゃんは何度も何度も、何十回も、ハム太に向かって「お利口ね」と呟いていました。とても暑い日だったのだけど、シャツからはみ出たハム太のお腹を見て「風邪引くよ」と心配してくれたりもして。ハム太は、おばあちゃんを怖がることもなく、ニコっと微笑みさえしたのを見ると、どこかで通じるものがあるのかもと思えました。

その夜、夢を見ました。
夢の中で、昼間と同じように、施設の部屋でおばあちゃんを前に座っているのです。
おばあちゃんは昼間会ったときと同じ服装で、同じように車椅子に座っています。
そして「Umiちゃん、ごめんね」と謝るのです。
名前を呼んでくれたからではないけれど、夢の中のおばあちゃんは認知症ではないことはなぜかはっきりわかります。おばあちゃんは、現実の自分が認知症で、わざわざ会いに来たわたしを認識してあげられないことを謝っているのでした。
「大丈夫よ」というわたし。「この後**に行くんでしょ?」と話を続けるおばあちゃん。
短い夢でした。
今思うと、夢の中でも、これは現実ではないということがよくわかっていました。
でも、おばあちゃんにわかってもらえなかったガッカリを埋めるためのただの夢ではなくて、眠っている(または乖離している)おばあちゃんの意識に会った気がしたの。

認知症は大雑把に言えばいろんなことを忘れてしまう病気と思われているけれど、忘れてしまったものが無くなってしまうということではなくて、おばあちゃんの記憶や意識はバラバラだけどまだちゃんとあるみたい。

そして、うまく対応できない自分というのをどこか遠くから見ている、もう一人のおばあちゃんがいるのだという気がしたのでした。

思い出してもらえなかったけど、わたしやハム太と会ったこともきっともう記憶の彼方に流れて行っちゃったと思うけど、おばあちゃんに会えてよかったです。きっとどこか深いところでは、わかってくれていると思うのです。


(追記)
聞いたところによると、おばあちゃんは、わたし達が帰った翌日、何度も「東京へ行かなくちゃ」と言っていたそうです。
おばあちゃんと会ったとき、施設の方と「遠くから会いに来たんでしょ?」「東京です」って会話があって、そのとき「トウキョウ」と呟いたおばあちゃん。
わたしが来たことはもう忘れていて、でも、東京になにかある、という印象が強く残ったみたい。
わたしの知る限り、おばあちゃんはこれまで、東京へ来たことも、多分飛行機に乗ったこともありません。
でも「東京へ行かなきゃ」って……。
この話を聞いて、ちょっぴり、泣きました。




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# by umitoramarine | 2018-04-14 23:16 | つぶやき | Comments(6)

ノリマキの思い出写真


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今日の餌やり、ノリマキを呼ぶ必要がなくてさみしかったよ。






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# by umitoramarine | 2018-04-01 23:00 | ねこばなし | Comments(2)
今日の夕方、ふとスマホを見たら、猫ボラSさんからメールが来ていました。
一言、「ノリマキちゃんが亡くなっていました」と。

わたしは昨日、餌やり当番だったのです。
ノリマキは呼んでも姿を見せず、連絡ノートを見て、ノリマキが前日現れていないというのを確認していたので、心配になって少し探したけれど見つからなかったのでした。でも、猫が何日か姿を見せないと言うのはたまにあることなので、それほど深刻には考えていなくて・・・。

驚いて「本当ですか?」と返信しそうになるのを、もちろん冗談でそんなことを言うわけがなく、「事故ですか?」と返信したら、Sさんが電話をくれて、発見した状況を教えてくれました。1週間ほど食欲がなく、病院へ連れて行こうと思って探していたら、遺体を発見したとのことでした。

ノリマキは、あの地域の猫の中で一番若い猫でした。
小柄で、お団子のように固く太っていて、いつもつやつやと毛並みが良くて。
他の老猫たちに比べるとまるでいつまでも仔猫みたいで、まさかこの子が死んでしまうとは誰も思っていなかったのです。

わたしも、ボラを始めてからもう数え切れないほどの猫たちを見送りました。
家の猫たちと違って自分が全責任を負えるわけでもないし、猫たちの死は、さみしいけれど仕方のないこととドライに割り切って来ました。野良猫の自由と、ご飯に困らず病院へも連れて行ってもらえる飼い猫の特典を両方持ったここの猫たちは、とても幸せなのではないかと思っているので、天寿を全うした子たちの旅立ちを見送れることは、ある意味、責任を果たせた満足感さえ感じられるものでした。
でもそれは、やはりそれなりに長生きした猫に限ってのことだったのだなあ。

わたしはボラ先の猫たちはどの子も本当に可愛いと思っていますが、中には特別思い入れのある猫たち(例えば、長年をかけて信頼を得たパリや、遠くからでもわたしを見分けるテブクロや、なんだか気持ちの通じる気のする数匹の猫たち)がいます。

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ノリマキには、そう言う意味で、あまり思い入れはありませんでした。
ここの地域の猫に関わるようになってから、ノリマキとわたしの関係は、ほどほどに仲良しの平行線を辿っていました。
なのに、ノリマキの死には自分で思った以上のショックを受けています。
安心しきって歩いていた道で、落とし穴に落ちてしまったような気分。
ノリマキの旅立ちは早すぎました。

いつも、誰かと長いお別れをすることになったとき、悲しみの大きさはその相手からもらったものの大きさだと考えています。悲しみの大きさは、その存在の開けた穴と同じ大きさと同じなのです。そうすると、悲しむほどに感謝の気持ちが溢れて来て、ぽっかり空いた穴に流れ込んでくれます。悲しみが無くなるわけではないんだけれど、少し痛みが和らぐのです。

わたしは、ノリマキを特別な猫だとは思っていなかったけれど、「ノリー!」と大声で呼んだときに、どこからともなく駆け寄ってくるノリマキの様子が好きでした。ノリマキの歩き方はなんだかいつも楽しそうで、急に屋根の上から降りて来たり、いたずらっぽいところがありました。

猫たちの世話をするのはわたしの幸せではありますが、自分で思っていた以上に、ノリマキから幸せをもらっていたみたい。ノリマキちゃん、ありがとう。今までありがとう。
またいつか、どこかで会おうね。


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# by umitoramarine | 2018-03-26 23:25 | ねこばなし | Comments(0)
ツタヤディスカスで長らく借りっぱなしになっていた映画をやっと観たのです。
『ライオン〜25年目のただいま」の感想を書きますが、ネタバレありなので、これから観る方は気をつけて。


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インドのスラム街で暮らす5歳の男の子が、長距離回送列車に乗ってしまい、遠く離れた見知らぬ土地で迷子になるところからストーリーが始まります。

自分の住んでいた街の名はおろか、お母さんの名前も、自分のフルネームさえ言えないような小さな子。
さらに、インドなので長距離移動した先では話す言葉も違っていて、言葉も通じず……。
ストリートチルドレンの多いこの国では、迷子の子どもがひとりうろついていようとも、気に留める人はなく、やがて、幸か不幸か施設に入れられることになります。そして、養子を探していたオーストラリアの夫婦の元に引き取られ、豊かな暮らしをし、愛されて育った彼ですが、もちろん故郷の母や家族のことを忘れることはなく、大人になってから、グーグルアースで故郷を探し当てる、というお話です。

私、20年ほど前ですが、一度だけインドへ行ったことがあります。
インドは、旅行へ行くと好き嫌いがはっきり分かれるとよく言われますが、わたしの場合、トランジットで半日ほど観光しただけですが、正直にいうと二度と行きたくないと思いました。

まず、空港を出たところで待ち構えていたストリートチルドレンに囲まれ、お金をせびられる。
中には口も回らないような3歳くらいの小さな子もいるんです。
ツアーで、可哀想だと思ってもお金をあげてしまったら、それこそみんなに囲まれるから絶対にあげないようにと添乗員さんからきつく言われていましたが、無視するのも辛いような、痩せて目が大きく、黄疸の出ているような子ども達。
彼らはよくわかっていて、ツアー団体の中でも、それぞれ一人をターゲットに定め、他の人は一切見ずにその一人について歩くのです。それも、小さな子どもがこんなに遠くまで来ていいの?と心配になる程、1kmくらいついて来た気がします。
子どもだけじゃなくて、不自由な体を見せつけてくる大人の物乞いも多く(そのためにわざと指を切ったりすると聞きました)、目に焼きつくような光景をたくさん見ました。ただ、彼らは、ものすごい生命力で生きようとしている。平和ボケしているわたしは、それに当てられたような感じでした。覚悟無しには歩けない国。それがわたしのインドの印象です。

そんな思い出があるので、ああ、あそこで迷子になったら最後だなぁ、と思いながら見ました。
主人公の5歳のサルーはとっても可愛くて、つい息子と重ねて見てしまう。全然似てないけど。
でも、5歳のサルーは、迷子になっても涙一粒流さないのです。
彼の生まれ育った環境は、泣けば誰かが助けてくれるような世界ではないんですね。
たった5歳で、生きる厳しさを、当たり前のように知っているのです。

なんとこれ、実話なんですって。

5歳にして、言葉の通じない土地で迷子になり、家族と離れ離れになる不遇の反面、故郷にいれば決して手の届かなかったであろう、恵まれた環境で高等教育を受けられたのは幸運と言えないこともなく……それを決められるのは本人だけですが、間違いなく数奇な運命とは言えそうです。

ただ、迷子になったことによって命を落としたり、人身売買されたりというリスクを潜り抜けて、恵まれた環境を得た上に、最後には故郷へたどり着いたサルーの「生きる力」は、感動的だと思いました。最後の方は、泣いちゃいましたよ。

この映画の、大人になったサルー役のデブ・パテルって、どこかで見たと思ったら、「マリゴールドホテルで会いましょう」という2作の映画に出演していたみたい。先日書いた「マダム・イン・ニューヨーク」もそうですが、インドには二度と行きたくないと言いながら、わたしは結構インド系の映画を観ているみたいです。

インドを生き延びるバイタリティに当てられる、と言いながら、自分にはないその生命力に憧れもあるのかもしれませんね。












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# by umitoramarine | 2018-03-25 23:52 | 本のこと | Comments(0)