おばあちゃんのこと (追記あり)
2018年 04月 14日
先週、数年ぶりに故郷に帰っていました。
おばあちゃんに会って、曽孫であるハム太を見せるためです。
おばあちゃんは認知症で、ここ数年は施設で暮らしています。
先日、久しぶりに電話をしてみたら、なんだかストンと人格が抜けてしまったような話し方で、認知症が進んでいるのがわかりました。昔は電話に出るたび必ず「Umiちゃんね」と名前を呼んでくれたのにそれもなく、会話の中でもいろんな時を彷徨っているのがわかって。でも、顔を見たらきっと思い出してくれると思って会いに行ったのです。
わたしとハム太に会ったおばあちゃんの反応は、でも、期待していたようなものではなくて、「孫のUmiよ、わかる?」と声をかけたわたしに微笑みながら「わかりません」と言いました。正直なところ、ガッカリしたけれど、予想できることでもあったので落ち込みはせず、反応の薄いおばあちゃんに一方的に話しかけながら、1時間ほど一緒に過ごしました。
ハム太のことを曽孫と説明したけれど、「そうですか」との答えにはあまり届いている感はなく、それでも小さな子は単純に可愛いのか、おばあちゃんは何度も何度も、何十回も、ハム太に向かって「お利口ね」と呟いていました。とても暑い日だったのだけど、シャツからはみ出たハム太のお腹を見て「風邪引くよ」と心配してくれたりもして。ハム太は、おばあちゃんを怖がることもなく、ニコっと微笑みさえしたのを見ると、どこかで通じるものがあるのかもと思えました。
その夜、夢を見ました。
夢の中で、昼間と同じように、施設の部屋でおばあちゃんを前に座っているのです。
おばあちゃんは昼間会ったときと同じ服装で、同じように車椅子に座っています。
そして「Umiちゃん、ごめんね」と謝るのです。
名前を呼んでくれたからではないけれど、夢の中のおばあちゃんは認知症ではないことはなぜかはっきりわかります。おばあちゃんは、現実の自分が認知症で、わざわざ会いに来たわたしを認識してあげられないことを謝っているのでした。
「大丈夫よ」というわたし。「この後**に行くんでしょ?」と話を続けるおばあちゃん。
短い夢でした。
今思うと、夢の中でも、これは現実ではないということがよくわかっていました。
でも、おばあちゃんにわかってもらえなかったガッカリを埋めるためのただの夢ではなくて、眠っている(または乖離している)おばあちゃんの意識に会った気がしたの。
認知症は大雑把に言えばいろんなことを忘れてしまう病気と思われているけれど、忘れてしまったものが無くなってしまうということではなくて、おばあちゃんの記憶や意識はバラバラだけどまだちゃんとあるみたい。
そして、うまく対応できない自分というのをどこか遠くから見ている、もう一人のおばあちゃんがいるのだという気がしたのでした。
思い出してもらえなかったけど、わたしやハム太と会ったこともきっともう記憶の彼方に流れて行っちゃったと思うけど、おばあちゃんに会えてよかったです。きっとどこか深いところでは、わかってくれていると思うのです。
(追記)
聞いたところによると、おばあちゃんは、わたし達が帰った翌日、何度も「東京へ行かなくちゃ」と言っていたそうです。
おばあちゃんと会ったとき、施設の方と「遠くから会いに来たんでしょ?」「東京です」って会話があって、そのとき「トウキョウ」と呟いたおばあちゃん。
わたしが来たことはもう忘れていて、でも、東京になにかある、という印象が強く残ったみたい。
わたしの知る限り、おばあちゃんはこれまで、東京へ来たことも、多分飛行機に乗ったこともありません。
でも「東京へ行かなきゃ」って……。
この話を聞いて、ちょっぴり、泣きました。
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by umitoramarine
| 2018-04-14 23:16
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