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シーグラスはたからもの seaglass8.exblog.jp

アラフォーのわたしと夫と猫2匹の暮らしに、男児が一人加わりました(2016年11月)。おいしいもの、猫、本、アートと子育て日記。


by umi
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指折り数える12月

12月になりました。
息子が生まれてからというもの、毎日ワタワタしているうちに、1年があっという間に過ぎてしまいます・・・。

言葉の遅い息子はまだクリスマスを楽しめそうでもないし、ただバタバタ感がますばかりのうちに今年も暮れてゆくんだろうなとやや投げやりな気分ではありますが。

先日、こんなお茶を見つけて買ってみました。

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クリスマスまでカウントダウンするためのお茶です。
24p入りなので、12月1日から1袋ずつ飲んでいくの。
パッケージに番号が符ってあって、ちゃんと24種類の違うフレイバーなんです。

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箱の前面を開くとこんなに可愛くてそのまま飾れます。
大人向けのアドベントカレンダーみたいね。楽しい。
昨夜は早速1日目のミントとブラックベリーのお茶を飲みました。
息子が寝付いた後の楽しみにしたいと思います。

カウントする、と言えば、20代の頃からかな? わたしが小さな習慣としていることなんだけど、年末になったら、その年の大切な出会いを数えてみるんです。

これまで、とても満ち足りた気持ちとは言えない心持ちで年末を迎えたことも何度もあったけど、心を落ち着けて数えてみると、素敵な出会いの全くない1年というのは一度もありません。

素敵な出会いというのは、もちろん恋愛という意味だけじゃなく、友達とか、そこまで深くなくても、これからもっと親しくなりたいと感じられる人とか、たまに挨拶するだけで笑顔になれるお店の人、とかでもよくて。

今年のわたしは、息子とばかり過ごしていて、なーんにもなかったなと感じていたけど、数えてみたら、やっぱりありました。

春から参加させて頂いている児童文学の会の皆さんと、初めて本当のヨガに触れさせてくれたアシュタンガヨガの先生と、知り合って数年、あまり気の合わないタイプかと思ってたのに、距離が縮まって好きになった一人の友人。

こうして数えてみると、決して息子のことばかりしていたわけではないなと再確認できるし、あらためて出会いを嬉しく大切にしたいと思えます。

クリスマスまで、お茶を楽しみながら、日々のいいことを数えることを習慣にしようかな。



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# by umitoramarine | 2018-12-03 00:31 | つぶやき | Comments(4)

おひさしぶりです。

随分、ご無沙汰してしまいました。
パリちゃんを見送って、落ち込んでいた訳ではないですが、気が抜けてしまったというのはあるのかな?
今はすっかり、元のペースを取り戻し、ゆるい日常を送っています。

この2ヶ月で、息子もわたしも一つ歳を取りました。
わたしの1年は大したことないけれど、息子にとっては長い長い1年間だっただろうな。

息子は相変わらずのんびり成長しています。

最近は、朝ごはんを食べたら散歩に出かけるのが日課。
息子と手を繋いで散歩に行くのって、ベビーカーで出かけるのよりずっと楽しいんです。
落ち着きがないので追いかけるのは大変だけど、息子の向かう先を見れば、今日はこういう気分なんだなあとわかりやすい。
一駅ぶん先の公園まで歩いて、疲れたら帰りはバスに乗って帰ってきます。


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あとは、時間を見つけて、少しずつ物語を書いたり、展示を見に行ったりしています。

今やっているはしもとみおさんのグループ展。
回帰は今週末までなのですが、昨日やっと行けたら、売っているものはほぼ完売で、このお猿さんの絵だけが残ってた。
一番良い絵だったと思うのですが・・・お猿さんってやはり人気がないのね。(他のは犬とか猫とかでした)
みおさんの彫刻はもちろん好きだけど、水彩画がとても好き。
欲しかったです(わたしにはちょっと高価だった)。


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お昼を食べ損ねていたので、おやつの時間にランチを。
浅草の「ペリカン」さんが開いた「ペリカンカフェ」でアンバタトーストときのこのスープ。
変な時間だったので、あまり待たずには入れたけど、まだまだ行列みたい。
美味しかったです。


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またゆるゆると、日常のことを綴っていこうと思います。



# by umitoramarine | 2018-11-23 23:20 | つぶやき | Comments(0)

ありがとう、パリちゃん

9月29日の夜、パリちゃんが亡くなりました。
前日から急に食欲がなくなり、今度こそお別れなのだなあと覚悟していました。

その日は、朝から何も食べず、たまに水を含ませて体の向きを変えてあげるとき以外、スースーと同じ姿勢で深く眠っていました。夜21時過ぎにお水を飲ませて、その日なかなか寝付かなかった息子がやっと眠りに落ちた23時過ぎ、様子を見に行ったら既に亡くなっていました。きっと、最後のお水を飲んだ後すぐあたりに亡くなったのかなぁ。
その場にいてあげることはできなかったけど、それはきっとそうなるだろうと思っていました。

前日の夜、ゆっくり抱っこして話しかけたとき、パリちゃんは最後の力を使ってゆらりゆらりと尻尾を揺らしてくれたの。「ありがとう」と言ってくれたように思いました。8月頭に倒れて復活してから、苦しそうにしていることも多かったけど、旅立ち前の数日前からパリちゃんは穏やかに眠っていることが多くて、わたしも今度ばかりは本当のお別れなのだと受け止められたし、最後の瞬間にいてあげることはなかったけれど、多分、眠りがまた一段深くなるように亡くなったのだと思います。悔いはありません。

昨日は1日雨だったので、本日、パリちゃんがもともといた場所に埋葬してきました。
普段あまり顔を合わせることのないボラが総勢8名集まりました。
パリちゃんにお線香をあげて、みんなが手を合わせたとき、ボラのIさんが、「パリちゃん、ありがとう」と声に出して言いました。

そうなの。ありがとう、なのよね。お疲れ様、より、安らかに、より、一番言いたいのは「ありがとう」。
ここにいる人達は、猫の世話をしていると言いながら、自分がいかに猫に助けられているかよくわかっている。
慰めとか癒しとかそういうのじゃない。それももちろん多少はあるけど。
毎日、大変だけど猫の世話をしに行く。それが一方的に与えてるだけじゃなくて、それによって自分が支えられているということもよくわかっている。猫ボラと言っても、わたし達はなんの団体でもなく、勝手に猫の世話をしている個人の集まりなのです。猫の世話をしながら、いつの間にか出会った人々。奇跡のようだなあと、たまに思います。

(蛇足ではありますが、わたしたちは完全にTNRを行っており、病気になれば病院へ連れて行き、先の短い猫はパリ同様誰かが引き取って家で面倒を見ています。先人の努力によりこの地域の人々には餌やりをご理解いただいてます。)


そういえば、祖父のお葬式の時も思ったんだけど、愛されていた人のお葬式に出ると、悲しみよりなんだかほっこりする気がします。今日は、普段顔を合わせないボラさん達に会って、みんな和やかで、こういうと語弊があるけど、良い時間を過ごせたのです。こんな良い時間をくれて、パリありがとうって改めて思って。わたしもそういう人になりたいものです。

さて、わたしはと言えば、実はあまりまだ実感が湧かず・・・昨日は、頭ではもう必要ないとわかっていつつ、これまでのように何度も、パリちゃんの様子を確認してしまいました。生きていた時と同じクッションの上で眠っているみたいだったから。今朝も、起きてからいつものように「パリちゃんは・・」と思ってしまった。亡くなったことを忘れたわけじゃないのに、どうも落ち着かない。そして午後、パリちゃんを埋葬してからは、なんだかパリの部屋に入る気がしません。昨日は、ついパリの亡骸に話しかけたり、撫でたり、埋葬前に少しでも綺麗にしてあげようと櫛をかけて体を拭いてあげたり、自分でもよくできるなぁと感じるほど、生きているように接していたのに、パリを送り出した今となって部屋に入るのがこわくなってしまいました。不在を確かめるのが嫌なのかなあ。自分の心が自分でもよくわかりませんが、なので、部屋のドアは閉めたまま。

でも今度息子が預かりの日に、お部屋は丁寧に掃除をしようと思います。
隅々まできれいにして、部屋の空気を入れ替えて、ここ9ヶ月パリ部屋となっていた自分の部屋を取り戻そう。
お部屋をきれいにしても、パリちゃんを忘れることはないから。

いつでもシャーだったパリちゃんが、心を開いてくれてとっても嬉しかった。
パリちゃんと同じ屋根の下で暮らした9ヶ月、楽しかったよ。
ありがとう、パリちゃん。また会おうね。




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# by umitoramarine | 2018-10-01 23:09 | ねこばなし | Comments(0)

秋色の日のつぶやき

パリちゃんが、愈々痩せてきて、今度こそもうすぐ本当のお別れだと感じる。
食欲は相変わらずあるのに、正視するのが辛いほど、骨と皮ばかりになってしまった。

誰だって最後は死ぬのだし、パリちゃんはとても長生きという意味で大往生になるのだから、あまり悲しまないようにしようと思っていたけれど、やはり悲しい気持ちになる。心のどこかで、もしかしたらパリちゃんは永遠に死なないかもしれないと思ってた。まだ死んだわけじゃないからわからないけど。

今日、息子を寝かせてから、パリちゃんを膝に乗せてしばらく撫でていた。コツコツと、刺さりそうなくらい骨が出っ張っていた。パリちゃんは大人しく動かないままだったけれど、ずっと目を開けていた。苦しいのかな。何を思っているんだろう。

最近読んだアメリカで書かれた本に、「猫が歳をとり過ぎてもうだめだから安楽死させてもらう」という話が出てきた。その人は、それまで飼った(そして見送った)犬猫の話をしながら涙ぐむほどペットを大切にしていて、安楽死はその人の愛し方なのだ。それに異を唱えたいわけではないけれど、わたしは命の終わりを自分が決めるということを烏滸がましく感じる。パリが生きようとする限り生きる手伝いをして、最後まで見届けるのがわたしの愛し方だと思っている。でも、パリはどう思っているんだろう、今、少しでも幸せだろうか、と考えてしまう。

命には終わりがあるから良いのだと思う。自分だって永遠に生きたいなんて思えないし、パリに永遠に生きてほしいなんて思ってない。でもやっぱり、どんなに長く生きたって、最後には「いかないで」と思ってしまうもので、そしてそれは悪いことではないのだろう。

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幸せとか不幸せとか関係なく、命はただある限り生き続けるものだということをパリちゃんから学んだ気がする。
今わたしができることは何もなくて、ただ、あまり苦しくない最後でありますようにと、それだけ祈っています。





# by umitoramarine | 2018-09-24 01:01 | つぶやき | Comments(0)

水族館は宇宙

今日、2時間くらい自由になる時間があって、何をしたいか考えていたらふと「海が見たいな」って思った。
名前にしているくらいだからね、海が好き。だけどもう長いこと見ていないかも。

家から2時間で行って帰って(ついでに夕飯の買い出しもして)来られる海は思い浮かばなかったけど、そういえば家からそう遠くないところに、水族館があるのを思い出した。そこは、元職場の近くでもあって、夜まで開いているので、仕事帰りに水族館なんてこともやろうと思えばできたんだけど、何年も通いながら結局一度もそんなことはしなかった。水族館の近くに住んで気が向いたら毎日でも寄れる環境だったらいいなあと、子どもの頃、夢見ていたけど、実際に手が届くようになったら結局、仕事が終わったらさっさと家に帰りたくなってた(あるいは、飲みに行くとか)。今年の夏、外で遊ぶにはあんまり暑すぎたので、息子を連れて行くために、初めてパスポートを作った。正規料金2回分でパスポートが作れるのだから安いものだけど、夏休みは混むので、結局あれ以来行ってない。

なので今日、息子抜きで、海の代わりに水族館へ行ってきた。息子の機嫌を取りながらじゃなくて、イルカのショーをゆっくり見たかったのです。イルカは大好きなんだけど、こうして狭い水槽に閉じ込められショーをさせられているのには複雑な気持ちになる。でも、イルカが天井近くまで跳ねたり、爽快なスピードで泳ぐのを見ると嬉しくなってしまうし、ショーが二度と見られないとしたら残念に思うと思う。イルカを始め、人間を楽しませてくれる動物たちには本当に感謝しないとね。

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イルカショーを見終わった後、少し残って、自由に泳ぐイルカたちを眺めていたら、目の前を首も座っていない赤ちゃんを抱いた女性が通り過ぎた。まだ新生児くらいの子の首を支えて、イルカを見せている。と思ったら、その子から透明な管が伸びていて、それは隣に寄り添う男性の持った大きなバッグにつながっていた。たぶん、酸素ボンベだと思う。もしかしたら、この子はあまりこの世での時間を持っていなくて、だから本当はもう少し大きくなったらしたかったことをしているのかな……と思った。赤ちゃんを抱いたご夫婦は本当に嬉しそうで楽しそうで、そんな3人の記念写真を、連れの人が撮ってあげていた。わたしの思い違いだといい、あの笑顔はずっと中まで笑顔だといい、と思いながら、その場を後にした。

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水族館に来ると、いつも、中学生の頃読んだ漫画のセリフを思い出す。
「水族館は宇宙」。
イルカが大好きで人とのコミュニケーションが少し苦手な男の子と、その子を好きになってしまった女の子のお話でした。


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うん、水族館は宇宙だね。

# by umitoramarine | 2018-09-20 00:30 | つぶやき | Comments(0)